wanshannan’s diary

ドラマ、映画、ゲームの感想を中心にその他のことも書きます。

メタファー:リファンタジオ クリアした

「メタファー:リファンタジオ」をクリアしました。クリアしてしまったとも言う。クリアしないでいたかった。彼らとの旅を終わらせたくなかった。そのくらいメンバーが愛おしかったし、旅が楽しかったよ。
難易度ノーマル、レベル79、プレイ時間142時間でした。
発売日(2024.10.11)に購入して2ヵ月くらいでラスダンに行けたんだけど、なんかクリアしたくなくて1年と半年くらい寝かせてしまっていた。

何から語れば良いのか分からないので、キャラクターについて語り、物語についても合せて書いてみよう。ネタバレだだもれ。

 

〈主人公〉
徹頭徹尾かわいい。私はシリアスな場面においても画面に映る主人公に対し「かわいい!」「いろっぽー!」と叫んでいた。いわれのない差別を冒頭から浴びまくってしずしずと耐えている姿がこれまた色っぽくてグッときてしまった。メタファーはペルソナの如くカレンダー進行なのだが、一日の終わりと始まりに挟まれる横になっている王子のイラストが好きすぎて、一日が終わるたびにときめいていた。ビジュが好きすぎる。主人公は王子のビジュと似ている部分(背丈とか肌色とか種族観点から見た目に特徴がない点とか)物語中盤くらいで「こいつは王子本人なのではないか」とぼんやり思わされていたのだが、実際に王子本人で、ずっと万年床で眠っていた体と合体した直後、一日の終わりのイラストが合体後のビジュでそれまた悲鳴を上げて喜んでいた。ビジュが好きすぎる。
性格的な部分は正義感がある、酸いも甘いも受け入れる、誠実、悲観的にならない、覚悟ができる、などなど生きて行く上で必要な要素を全て兼ね備えた奇跡的な人間である。どうやったらこんな人間性が育つんですか。
暗殺未遂され、母親の故郷に隠れ住み、シャバに出たと思ったら差別を一身に受け、別に見たくもない人の死を見届け、中傷され、再度暗殺未遂され、ほんとひどい目に合ったけどよく頑張った。良いキャラクター造形だと思います。好感が持てる。我々がよりよく生きる上での指標となるキャラクターである。そして貴種流離譚を体現している。高貴なる者は旅をし、理不尽をその体に浴び、高みに登るのである。

〈ストロール〉
主人公の中の主人公。なんで二番手に甘んじているのか不思議でならない。村の領主の子であったが村を焼かれ、領地と両親を失い、それでも最後に残っていたのは貴族としてどう生きるべきかという心のみと言う、お前が何で主人公じゃないんだよっていうキャラクター造形。戦闘に置いては物理アタッカー。最後に覚えてくれるチャージ→八艘飛びがなければ色々と無理だったよ。いてくれてありがとう。

〈ヒュルケンベルグ〉
職務遂行意識がバリ高のキャラクター。それゆえ私としては一番心を寄せるというか、信用するというか、そういうキャラクター。現実においても私は「この職に就いているからにはこれをしなければならない」という観点で動きたいと思っているし、その観点で動いている同僚や先輩たち、上司を尊敬しているのである。それゆえ、主人公の故郷で吐露したヒュルケンベルグの後悔は胸にグッときた。物語の展開としても1.2位を争う良い場面だった。オレの心臓に一番近いのはお前だ、ヒュルケンベルグ。ネット上では「脳筋」「食いしん坊」「色気皆無」みたいにネタ枠で言われているのを見かけるけど、そんなのは彼女の一面でしかなく、彼女の大部分を占めているのは忠誠心と職務遂行意識だよ。戦闘では楯役。スキル「騎士の名乗り」は最初から使えるかつ、バージョンアップした「聖騎士の名乗り」最終戦まで使い続けたスキルでした。これがなければクリアできない場面が沢山あったよ。いてくれてありがとう。

〈バジリオ〉
一番最後に加入した仲間でありながら最高の物理アタッカー。君がいなければクリアできない場面が沢山あったよ。いてくれてありがとう。「影分身のヒトガタ」を装備させ、チャージ→狂気の破壊(壊属性弱点付与)で永久に殴り続けた。

〈ユーファ〉
メガテンの悪魔たちを召喚してくれる少女。プリンスとストロールのジンテーゼ「黒の舞踏」で闇属性弱点をつけた直後に闇属性攻撃をひたすら打ってもらっていた。ラスダン前においても豊富な魔法を使ってくれるので必須の人物であった。

〈ハイザメ〉
家族を体現したキャラクター。親は子どもに先立たれることを想像して子の誕生を迎えない。当たり前である。その理不尽をどのように乗り越える、付き合っていく、飲み込めるか、それを明確に示した。主人公を自分の子どもみたいに扱ってくれるので、悪いことを教えてくれそうな雰囲気がするのがとても良い。私は主人公のステータスを「速」に全振りしていたのだが、主人公に次ぐ速さの持ち主。よって攻撃を避けてくれることがありがたかった。相手のプレスターンアイコンが減るからね。

〈ジュナ〉
私がマスクドダンサーを上手く扱えず、何度も殺してしまった。ほんとすまん。

〈ガリカ〉
主人公より良いこと言ってしまう。言論において主人公を食っている。例として「(主人公に向けて)恐れも不安も、敵じゃないわ。あんたの力になってくれるから」「(ルイに向けて)あんたは夢を信じられない。だから地道なこと、複雑なこと、ゆっくりとしか変わらないことを信じられない」など。その場にあった言葉を紡ぎすぎだろい。主人公があまり物語らないので、ストーリーテラー的な立場でいてくれる。

〈ルイ様〉
主人公のライバルにしてメガテンにおけるルシファーの造形。CVがなぜか中村悠一。最近は中村悠一の声を聞くと中村悠一の顔が出てきてしまうのでホント良くない。彼が駆け出しの頃はちゃんとアルトくんの顔だったし、お兄様の顔だったのにな。それはさておき。主人公と相対するキャラクターでありながら、その思考は現実の私とかなりかぶる。「自らの責任を他人に押し付けるのは卑怯である」とか。思考の源泉とか、そういうのは主人公と共通している。世の中に対する怒り、理不尽を受け入れなければならない、理不尽による苦痛をなくしたい、など。だから、ルイ様は私たちのパーティになれるって心から思ってたんですけど、そうはなりませんでした。でも、ルイ様が自らツノを外したシーンを見て、ルイ様の敗北を確信しましたね。ルイ様、そういう貫かなきゃならない嘘は、死ぬまでつき続けなきゃダメなんだよ、物事を達成する前に自らを開示してしまったら、その時点で負けなんだよ。P5の明智の時も思ったけど、相容れない敵キャラではあるけど一緒にいたいと思わせるキャラクター造形が素晴らしいですね。唯一の懸念は、今後の新作でもその新鮮さをプレイヤーである私たちが感じ続けられるかどうかなんですけど。

〈ベルギッタ〉
何度この女性と契りを交わしたことか。恋愛関係になるならこの女性です。というか私の中では男女の関係になっています。私に全力で心を開いている。惚れないわけがない。

〈グライアス〉
退場が早すぎる!ひどいよ!容赦なさ過ぎる!

〈アロンゾ〉
お前!!!!!ふざけんな!!!!!こっちはお前のこと愛おしい奴だと思ってるんだからな!!!!!

〈レラ様〉
今作におけるキャラクター造形の白眉。世間的な評価は白衣の天使で救世主、しかし裏では王子の暗殺者。そんな表と裏の乖離が激しすぎるキャラクター。彼女の人生のクライマックスでは、妹であるジュナを擁する主人公たちと戦わなければならないという、禍福はあざなえる縄のごとしすぎる。私は何を言っているのか。ともかく何年にも渡って自分のあり方というものに苦悩し続けた人である。主人公の禍根、苦難の道の元凶である事実は揺るがないが、その苦悩の年月は察するにあまりある。CV能登麻美子らしいキャラクターである。彼女と主人公が敵対することが決定的となった直後、鎧戦車で流れる曲が変わる。まるでこの世の終わりのような、女性のボーカル曲である。私にとって、彼女との敵対が決定したことは劇的な出来事だった。

〈ホモ・ブテラ〉
キャラクターというかニンゲンですが、特筆すべき敵キャラクターである。何度リトライしたか分からない。一番の難敵だった。この敵とは2回戦うことになるが、2回目の方である。本当に大変だった。本当に大変だった。いきなり飛び上がって全体攻撃してくるし、砂嵐起こして全員に命中率下げさせてくれるし、こちらとしてはホント手数が足りなさすぎて、紙にペンで互いのダメージ数書いて計算しながら戦ったし、ターンごとの攻撃や行動をメモしながら勝ち筋を検証した。本当に大変だった。勝てたときは心の底から雄叫びを上げたのである。余談だが、2025年3月に行われたメタファー展にてホモ・ブテラとリアルに相対することができる展示があり、大変興奮したものである。君の存在がこの作品をより輝かしいものにしているよ。いてくれてありがとう。数あるニンゲンの中でも君のデザインと存在が一番愛おしいよ。

その他
・アーキタイプそろえるの大変!
・アーキタイプの習得が大変!
・技の継承大変!MAGが足りないよう!
・黄金蟲どこにいるの!?集めきれなかった!
・全然対立候補者と討論できなかった!リナちゃんと戦えなかった!
・闘技場でも中途半端になっちゃった!
・仮面の素材を拾い尽くせなかった。戦車が足りない
・鎧戦車での旅が楽しすぎる。メンバーとお話ししたり、風呂に入ったり、料理したり、植物育てたり、魚釣りしたり、景色を眺めてその歴史に思いをはせたり、現実の旅と変わらない感動の享受というか、この体験が愛おしい。
・敵が無限に湧くスポットで体が止まらない。永久にレベル上げしてしまう。でも敵が湧きすぎてたまに処理落ちする。湧いてくる敵の矢に何度倒れたか分からない。
・P5Sもそうだったけど、私にとっては旅要素があると満足感がすごく高まることがよく分かった。
・エンディングがとても長い!1時間くらいあった!でも正直言うともっと見たい!

まとめ
相変わらずアトラスゲームはクリアするまでに時間がかかるけど、時間をかけたぶん物語や世界やキャラクターたちのことを愛おしく大事に思えるから、やっぱりアトラスゲーのことが大好きです。仲間と一緒にいたい、仲間のことが大事だと心から純粋に思えることができるのが、本当に不思議。架空の出来事で架空のキャラクターだけど、プレイヤーの私としては実感があるのです。私のこの実感は虚構ではないんですよね。実際にあるものを与えてもらえました。いつものことですけど、こういうゲームを作ってくれてありがとうございます。アトラスゲームのことが大好きです。

 

 

 

観る前から観られなくなった映画「BBD」

私は、ジャーナリスト・伊藤詩織氏の監督作品『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』(以下BBD)という映画そのものは鑑賞していません。私がこの記事で目的にしているのは、映画の感想や批評ではなく、映画を見る前の段階(恐らく世の多くの人がそうでしょうが)の人間は、どんなことを考えるのか、という点を書き残すことにあります。端的に言えば、見る前から純粋に映画を享受することが妨げられているため、その理由を残しておきたいのです。その理由は、なんとなく感じる違和感や危機感です。私が感じている違和感や危機感を箇条書きにします。

 

1. 映画の使命は「啓蒙」ではなく「感動」にある
私は、映画の使命をまず「感動」にあると考えています。映画という芸術の使命は、社会派的思想を広めるための「道具」になることではなく、その作品自体の面白さや美しさで観客を圧倒し、感動させることにあります。
例えば、ドキュメンタリー映画『死刑弁護人』と言う作品があります。私はこの作品を残念ながらまだ見ることができていません。ですがYouTubeに公開されている、たった2分の予告映像からだけでも、この映画が作られた意味、描こうとしていることは伝わってきます。死刑事件ばかり扱う弁護士の日常、派手さはなくともたんたんと仕事をする姿勢、カミソリレターや脅しをうけ、警察に家宅捜索され逮捕され有罪判決くらったとて、受けた仕事はやる、死刑回避できるよう尽くす、そんな姿を見て「うわ、オレにはとてもできない」と思うわけです。悪魔弁護士とか、オウムを弁護するなんて意味わかんないとか、延々言われ続けているわけです。それでもやる。そんな姿を見た視聴者は、まぁ簡単な言葉で言えば感動してしまうわけです。ここで大事なのは、安田弁護士がいい悪いとか好き嫌いとかは置いておいて、ってことです。理屈抜きで、この人スゲえなって思っちゃう。
一方で「BBD」はどうでしょう。これだけ様々な報道と各々言ってることが飛び交っている中で、素直に映画の内容に感動できるでしょうか。また、映画の公益性について重要視している意見もありますが、良い映画だったら「公益性があるから公開しよう」なんて話はまず出ないんですよ。「良い映画だから公開しよう」なんですよ。だって、映画なんだもの。映画は啓蒙やプロパガンダのための道具ではなく、感動が先にないといけない。スクリーンに映る、伊藤さんの姿勢や生き様、行動をもって感動させなければならない。でも、この映画はそのスタートラインに立つことすらできなかった。彼女の母国である、日本での公開がスムーズにいかなかったという結果が物語っている。公開が遅れた理由が作品外の問題に起因している以上、作品そのものの魅力が語られる前にノイズが先行してしまった。

 

2. 表現者として必要不可欠な協力者への敬意
映画監督であるならば、先人たちが築いてきた表現の倫理や手法を学んで、それを自分の肥やしとして自分の作品に昇華させるはずです。例えば映画の出演者にはお礼を言うとか、悪いことしちゃったら謝りに行くとか、そういうことです。そういう姿は、他人に対しての敬意や誠実さの表れとして、映画そのものの価値にも反映されるものだと私は確信しています。
伊藤さんは映画を「芸術」として昇華させることよりも、自らが「偉い人」として脚光を浴びるための「手段」としているのではないかと、私は感じてしまいます。また、西廣弁護士から音声や映像の許諾について問題提起されているにもかかわらず、海外での公開を差し止めない、そんな姿から協力者への深い畏敬の念を感じることは出来るでしょうか。
伊藤さんは自分の行動、つまり許諾プロセスの不備が、他の裁判や事件で証言を引き出す際に障害となる懸念があると想像したこと、あるんだろうか。わたしは許諾不備の報道があったとき、真っ先にその心配をしました。今起きてる裁判、これから起きる事件、被害者に協力してくれる人はちゃんといるだろうか、自分の声や顔、仕事、名前、発言が特定できるのに、自分の許可なく、世界中へ公開されてしまうおそれがあるのに。
一方で、2025年12月の会見では、音声や映像の許諾のプロセスに不備があった点を、伊藤さんが謝罪されていらっしゃるようです。不備の部分があったことをご本人が認めているとのことです。また、日本では2025年12月から公開されているようですが、内容も修正されているらしいです。

 

3. 性被害者へのまなざしに不必要な疑念を生じさせるおそれがある
報道によれば、今回の映画制作において、伊藤さんはかつての協力者や関係者の許諾を十分に得ないまま証言映像等を使用していると指摘されています。 これが事実であれば、どれほど「社会的に意義がある」と大義名分を掲げたところで、その映画の信憑性や誠実さは根底から崩れてしまうと私は考えます。
実際に伊藤さんが誠実か不誠実かは置いておいて、「伊藤詩織さんは不誠実なことをしたらしい」というノイズが入っただけで、この映画というより、世の性被害者は大変な窮地に立たされる。なぜなら伊藤詩織さんは性被害者だからだ。
伊藤さんを含めた性被害者たちが最も困ることのひとつに、自分の証言を信じてもらえないこと、嘘つきと言われることがあるだろう。本来であればBBDは、性被害者の心をなぐさめたり、助けるような映画になっていただろう。だから伊藤さんはこの映画を観るよう、強くすすめている。けれど、先ほどのようなノイズが入るとどうなるか。「性被害者は不誠実だ、だからうそだってつくんじゃないか」という憶測がはたらいてしまうおそれがあるのです。約束を守らなかったから、あいつはうそつきだ、そんな思考回路です。この思考回路は多くの人が容易に構築するし、更に伝播、助長する。つまり、「被害を訴える側の誠実さ」に疑念の余地を与え、伊藤さんとは直接関係ないけれど、同じ苦しみを持つ他の被害者たちが積み上げてきた信頼や誠実さに傷をつけることになりかねないのです。
この映画を取り巻くノイズが、映画や伊藤さんが本来守るべき性被害者たちの信頼をも揺るがし、世間に「被害を訴える人は本当のことを言わないのではないか」という偏見を助長しかねないと考えます。よって私は強い危機感を覚えているのです。


終わりに
「死刑弁護人」に登場する安田好弘氏は、執拗な批判をされ、警察にも逮捕され、本人の周囲で様々なことが起きていても、一貫して自分の仕事をやり続けていました。誰かを民事裁判で訴えたというのは聞いたことがありません。彼は被告人の死刑を回避する、死刑制度反対の立場、信念、覚悟をもっているのが分かります。
「BBD」に登場する伊藤詩織さんはどうでしょうか。執拗な批判をされ、刑事事件では不起訴にされ、本人の周囲で様々なことが起きている中で彼女がしたのは、東京新聞記者への名誉毀損裁判を起こすこと(取り下げましたけど)、映画の日本公開を先延ばしにすること、自分の協力者であった西廣弁護士の要求をのまないこと、でした。
もちろん、安田弁護士と彼女の立場や状況は異なります。ですが「苦境に立たされたときに何をするか」という一点において、両者の姿勢は対照的に映ります。
彼女が一番大切にしていること、一貫してし続けていること、彼女の立場、信念、覚悟はなんなのでしょうか。それが私には分かりません。少なくとも、いち映画ファンとして、一貫性に疑問が生じている作品を、見る気持ちにはとてもなれません。私は映画の、筋の通った一貫性に感動しているのですから。
振り返れば、作品そのものを世に届けること以上に、作品を取り巻くノイズを丁寧に取り除くことこそが、この映画が本来持つ力を最も自然な形で伝えるために必要だったのではないか、と感じています。もちろん、それは今となっては言うだけなら簡単な話ですが。

『死刑弁護人』公式HP

献血失敗実績のある私が献血成功させた方法

【献血失敗履歴】

わたしの献血実績は400ml献血が6回。同じ数だけ献血失敗したことがある。
失敗の理由はヘモグビンの数値だ。献血で求められるヘモグロビンの量は12.5である。しばしば私は12前半台もしくは11台を出し、献血会場を後にしたことが幾度もあった。

 

【試したけど続かなかった方法】

ヘモグロビンが足りないと言うことは貧血と言うことだろうか、ならば貧血に効きそうなサプリをとればいいのか、献血に行く1ヵ月前からビタミンBとか鉄とか葉酸とか飲み続ければ良いのかな、と自分でもだもだ考えて実施して、献血成功したこともある。しかし献血のためにわざわざサプリを買って毎日飲むということはとてもじゃないが続けられなかった。よって献血失敗の日を重ねることもあった。

 

【持続可能な方法】

それから私は持続可能な献血成功行動はないかと考えるようになった。まず、ヘモグロビンがなんであるかである。ヘモグロビンは赤血球にある血色素のことを指し、体中に酸素を行き渡らせる役割がある。ということは、結局体の細胞や器官のひとつであるのだから、ヘモグロビンという名前がついていたってタンパク質のことを指すのである。ということは、タンパク質の摂取量、つまり食事量を増やせば良いのではないかという仮設にたどり着いた。
具体的な行動は、献血の1週間前から毎日3食取ること、食事内容に肉、魚、豆などのタンパク質を最低ひとつ、できれば複数摂取することを意識した。要は、少し多めの食事量を意識していればよい。すると私は献血失敗しなくなり、ここ直近は連続で3回成功させている。

 

【万人向けの方法ではない】

この方法はお医者さんに言われて実施したわけではなく、自分の妄想でたまたま上手くいっていると言うだけである。よって万人に効果のある方法とは言えない。私は普段の食生活が本当に適当で、夕飯はケーキ、朝ご飯はどらやきひとつ、もしくは塩むすび1個、もしくは温かい牛乳一杯、と言った程度である。すぐさま健康状態に異常はないが、軽い栄養失調であることは素人ながら予見ができる。
つまり、献血に最も適した時期というのは、正月あけ、お盆明けである。それから、歓送迎会が立て続けにある3.4月以降も良いだろう。みんなおおよそ、暴飲暴食してるだろ。その食事がヘモグロビンを作っているぞ。

 

【献血をすることによる精神的メリット】

献血は献血する人間にとって良いことがある。
まずは対面する赤十字の職員、医者、看護師たちにめちゃくちゃ感謝されたり特別扱いしてもらえる。ペットボトルの蓋を開けてもらったり、膝掛けをかけてくれたり、カイロをにぎらせてくれたり、ドアを開けてもらったり、ありがとうと沢山言ってもらえる。自己肯定感が低いとか、やりたいことがないとか、したいことが分からないとか、そうやってグダグダただ生きてるだけの人は、四の五の言わずとっとと献血しに行ってこい。献血成功しても献血失敗してもジュースは飲めるし、仮にジュースが飲めなくとも絶対に「ありがとう」って言ってもらえるから。それだけでも生きてきた甲斐があるってもんだろ。

令和8年1月5日からこのカードは使えなくなりアプリにその機能が集約される

 

【ネタバレあり】映画「劇場版忍たま乱太郎ドクタケ忍者隊最強の軍師」感想〜初見応援上映で泣き笑いした記録〜

忍たま映画、とっても良い映画でした。

 

【初見応援上映】

行った日がたまたま応援上映の日で、初見が応援上映ってハードル高いというか場違いなんじゃなかろうかと思いつつ、行きました。でも実際は、沢山この映画を回数重ねて見てきたオネエサンたちの頼もしさが心地よかったです。「松竹」が映った場面で「ありがとー!」とか言ってくれるのとかが良かった。合いの手が完璧で楽しさを増量させていた。

 

【初見でも楽しい】

忍たまを知らない人間でも1本の映画として楽しめるように作られてたのが親切だった。行ってらっしゃい、帰ろう、まだ教わってなかった、など作中で提示されたものやセリフを回収しきっていたところがいい。90分で終わるのも親切だ。2時間超えは観るのもきつい。もう最近は観客に対して親切に作ってある作品しか楽しめないのか、俺は、という謎の憤りも感じつつではあるが。

脚本はベタなんだけどテンポ感良いし、そのテンポ感もキャラや忍たまの世界観で生み出してるからより良いし、落とし所も天変地異や不思議パワーではなく、メイン3人の素のままの力でつけたから気持ちが良かった。つかあそこ泣き所のはずなんだけど、初見の俺は畳みかけられる台詞に笑いすぎてせきこんでた。良い笑いをしました。ありがとうございました。忍たま。

あと利吉が妖艶すぎるだろ。「お兄ちゃん」で吐くかと思ったぞ。衝撃が強すぎてどんな風に発音してたか思い出せないもん。勘弁してくれよ。あと「父上」も言われるたにびえづいてた。セリフというか三人称目的語に感情が入りすぎなんだよド畜生。
それから、ぼくは高山みなみの発音する「わたし」にすげー弱いです。

 

【アニオタの現代アニメへの愚痴を見事に昇華する作画】

あと、これは超個人的な感想なんだけど、イマドキのアニメらしくなく、作画の雰囲気やキャラデザを忍たまのままにしてくれてるのが、ほんとありがたかった。特殊効果でキラキラしてたり、やけにヌルヌル動くのとか、作風に合ってないのに、技術的にできるからってやられるとマジ消化不良起きるからな。アニオタよ、俺たちはヌルヌル動くから、キラキラしているからアニオタになったわけじゃないだろ。作画崩壊とか、入ってるスタッフによって画面が変わるのすら好意的に楽しんでいたからアニオタになったんだろ、と世のアニオタに心の中で呼びかけていた。アニメの何が魅力だったのかをかえりみることができた。
キャラデザで言えば、手とか指とか足の指とかを、適度にデフォルメ、崩して描いてるのにも感動しちゃったな。こういうのが作品の空気感を作ってる。乱太郎の髪の毛の塗りとかもそう。その辺ばっかずっと見てたわ。キノコの作画が丁寧で浮いてたのは、それはそれで面白くて笑ってしまった。

 

【忍たまが30年続く理由】

忍たまが大人のおねーさんたちに長らく支持されてる理由がわからなかったんだけど、最近なんとなくわかったような気になってきた。なんか、みんなキャラクター純粋なんだよね、嫌味なく。生きてると、ピュアなものなんてこの世にないと思っちゃうけど、ここにはあるやんけ、って思える。先生キャラが生徒のこと大事に思ったり、子どもたちは先生のこと尊敬したり、友だちや家族に対して優しくしたり、そういう純粋なシーンがたくさん見られるんだよな。あと、キャラクターたちは自分を偽ったり(変装はあるが)過度によく見せようとしていない、純粋なままそこにいて、受容されている。それから、命令系統がしっかり機能してるのがいいよな。現実世界では、ありのままの自分は排斥されるし、命令系統がぐちゃぐちゃなこと多い。その点も理想の世界って感じがする。世の中の人々よ、生きにくいと思ったら平日夕方はEテレを見ろ。平日夕方なら毎日やってるから。理想の世界がそこにある。

 

【忍たまと大震災】

忍たま映画って今回のが3作目で、それ以前の作品を知らなかったから調べたんだけど、忍たま映画2作目の封切りって2011年3月12日なんやて。なんかすごいわほんと。東日本大震災の翌日って、そんなことありえるの。あんな状況下で、勇気100%の歌詞にある「がっかりしてめそめそしてどうしたんだい太陽みたいに笑う君はどこだい」なんて言われたら涙流すしかないやん。わたしはお客に対して延々「勇気が必要だ!」と大声で言ってきたンだけど、ふと振り返ると、忍たまでも30年くらい「100%勇気」と歌い続けてるんだから、別にお客との関わり間違っていなかったなと思うのでした。それにしても、読めば読むほど普遍的すぎる歌詞だ。やりきるしかねえんだよ。道はそこしかないんだよ。なのにその道の前で一体何回足踏みしてんだよ。意味ないんですよ。そこしかないから、そこへ飛び込め。勇気をもって。そんなことをお客に対して思っていたのでした。
忍たまが30年続いてる理由を真剣に考えてると、こういう巡り合わせみたいなものを呼び寄せているんだと目の当たりにしている。大震災っていう、誰も彼もが衝撃を受けている中で、勇気を振りまく作品がその直後に上映されるなんて。本当にすごい巡り合わせ。人々が必要とされている時に示され、供給される使命を、忍たまは負っているかも知れない。壮大な考えですけど、そうとしか思えなくなってしまった。

 

【言いそびれたことと蛇足】

忍術学園の独立国家というか一大勢力という認識が作中でされているのが印象的だった。ざっとさんて、「ちょっと粉もんさん」言われて訂正してるけど、ちゃんと発音しても「ざっとこんなもん」だもんな。どういうことだってばよ。「もろずみそんなもん」もなかなかだよ。
角と鹿のパペットほしいな。
ドル箱と判明したのだから次回作も作らな。この世は資本主義社会やぞ。

 

 

 

新書「ケーキの切れない非行少年たち」感想

「ケーキの切れない非行少年たち」「どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2」両方読みました。大分前に売れてた新書を今頃読んでみたけど、読む価値ありました。
くれぐれも知能が低いから犯罪を犯すんだ、と嘲笑するための本ではなく、助けが必要な人が助けの手をもらえずに至ってしまった、そしてその助けが必要な人は、私たちの想像よりも多くいる、という啓発、警告、啓蒙の本であるということ。

・見たり聞いたり想像する力が弱い→認知機能の弱さ
・感情をコントロールするのが苦手→感情統制の弱さ
・思いつきで行動し予想外のことに弱い→融通のきかなさ
・自分の問題点がわからず自信がありすぎるもしくはなさすぎる→不適切な自己評価
・コミュニケーションが苦手→対人スキルの乏しさ
・力加減ができない→身体的不器用さ

分かりやすく彼らの特徴を6項目に示したのはこの辺り。それから細かいところでいくと、分数がダメとか、時間の概念が弱いとか。感情コントロールが苦手で、怒ることによって冷静な思考の妨げをしているとか。「支援したくないような相手だからこそ支援しなければならない」は言い切ってたね。まぁ支援しないと、市井の民が被害を被るからな。一見切り離したり廃除したり見てみないフリした方が安全なんじゃないかと短絡的に思っちゃうけど、長期的に見ると周囲の人間、例えば自分や自分の大切な人が泥かぶったり、生涯にわたる傷、命も財産をも奪われる危険性が爆上がりするからな。当事者以外も必死にならねば変化はない。受容も更生も幸せも何もかもない。義務教育の大切さ改めて感じたな。ほんとそれが終わったら事実上放牧なんだからさ。放牧するまでに仕込みをしておかなければならない。義務教育ってか、小学校だな。
ちなみに僕の書いた複雑図形。正しく書くのはマジ難しい。線が多すぎるのと、正方形や長方形の認識、線が突き出る突き出ない、ともかくこれっぽっちだけど情報量が多いんだよな。数学が得意な人が得意そう。絶対正方形から描き始めるやろ。数学は正しい。

これでもわりと歪んだRay複雑図形

文中に参考文献書いてくれてるけど、やっぱり巻末にまとめて描いてほしいな。

 

 

 

2025.3/1-25 カペラ・アンドレア・バルカ聴いた

【3/1-23】

メタファー展行ってきた。とても楽しかった。ホモ・ブテラとリアルで戦うことができたよ。

「メタファー:リファンタジオ展」公式サイト

 

 

旅立つと言うこともあって、沢山宴会を企画してもらった。焼肉、ファミレス、和食、お魚。

引き継ぎなんかも行ったり、したり、掃除したりしてた。

 

【3/24.25】

東京を始点として7泊8日の旅行に行った。とても良かった。

初日は師匠の家へ行ってカレー食べたり、原宿で髪切ったり、翌日はピューロランド行ってからシフのコンサート行った。

ピューロランドは久々にミラクルギフトパレード見たんだけど、ずっと泣いてましたね。ボロボロ泣いてた。つか11月に終演なんだっていう。


www.youtube.com

シフは、シフのオーケストラであるカペラ・アンドレア・バルカとの共演でした。プログラムAだから、オールバッハピアノコンチェルトだった。いやー、こんなにピアノコンチェルト弾けると良いな!!演奏は、誇大表現のない自然な、健康的な演奏だった。楽譜に書いてあること、楽譜に書いてあるなら当然すべきことしかしていなかった。地元の師匠と行ったんだけど、師匠曰く「楽譜になんのメモもされていなかった」とのこと。楽譜に書いてあることと、本番の舞台上で生まれた「なにか」を頼りに音楽を作っていることの証明だと思いました。事前のリハーサルで「ここはリタルランド」とか「ここはアッチェル」とかわざわざ楽譜にメモしないのである、この人たちは。そんなことがなくてもいい演奏ができるんです。7番ト短調終楽章は三連符の大嵐なんだけど、全然三連符という感じがなくて、多分奏者は三連符として捉えているのではなく、フレーズとして弾いているだけなんだと思う。シフの音のニュアンスが弦楽器の発音すぎてビビった。寄り添いすぎだろ。前半だけでも満足したけど、休憩あけの方がよりフレーズ感や和声がピターっとして満足感が高かった。
アンコールはブランデンブルク5番を2.3.1楽章の順で、そしてゴルトベルクのアリアだけでした。ブランデンブルクは大好きだし、ゴルトベルクはマジの弱音で、観客の耳をそばだてさせていました。おかげで余韻を少し感じた後、拍手が起こりました。弱音て大事だね!コンチェルトはみんなフライング拍手気味だったからな!
バッハの短調って厳しいとか、しんどいとか、きつい、というような印象を持っていたんだけど、今日の演奏の短調にはそんな印象が全然なかった。自分の感性を見直したい気持ちです。

SIR ANDRÁS SCHIFF & CAPPELLA ANDREA BARCA|サー・アンドラーシュ・シフ指揮 カペラ・アンドレア・バルカ - KAJIMOTO

2025.2/1-28 ジークアクス見た

【2/1-28】

ジークアクス見てきた。面白くてゲラゲラ笑っていた。
私はファーストガンダムをえらい昔に一通り見て、でもそれほど印象に残らずだったんだけど、それでも断片的に覚えてることは沢山あったからめちゃくちゃ笑っていた。
一言で言うと、アムロがガンダムと出会わなかったらどうなっていたか、という世界線の物語が進行していく。そんな、SEEDでも採用されている機体と主人公の出会いをなかったことにしちゃうの、という驚きでいっぱいだった。
SEとか効果音も当時の物を使っていて、丁寧な仕事だと思った。
エヴァが完結しなければこういうぶっ飛んだ面白いこともできなかったんだから、ホントにエヴァが完結して良かった。心の底からそう思いました。あと、エヴァを見ていたから共通する演出や設定デザインなんかもあったから、エヴァ見といて良かったなって生まれて初めて思った。
ジークアクス見て、ああ、これを作った人たちの姿は、正しいオタクの姿だ、見習わなきゃな、と心を新たにしたのであった。
もっといえば、俺が見てきた作品のクリエイターたちが、まだ作品を作れるくらい元気で活動的なことが最もありがてえことだな。
絶対にジークアクスを観る予定のない人にジークアクスの良かったところをお話した。何も良いところを伝えられなかった。

 

 

合唱の伴奏をしていたんだけど、弾いてる最中に感動して手が止まりそうだった。魂がのった歌声というのは、この世にある。技術がつたなくても、経験がとぼしくても、魂をのせた歌声を作ることはできる。演奏してて感動することってほとんどないけど、感動したとしても演奏を止めてはならない。感動したら身動きできないんだけど、奏者はそれが許されない。演奏しきるのが奏者の義務だから。

年間で最も嫌なことが2月にあるので1月から落ち込んでいるんだけど、当日休めば良いと言うことを気がついた。よって休んだ。そんな簡単なことに今まで気がつかなかったなんて。まあ、気がつけたから良しとする。